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【地域事例集in三重】「鉄から土へ」尾鷲の地からジャストトランジションへの挑戦 | ふるさと兼業

【地域事例集in三重】「鉄から土へ」尾鷲の地からジャストトランジションへの挑戦

【地域事例集in三重】「鉄から土へ」尾鷲の地からジャストトランジションへの挑戦

ふるさと兼業は2023年9月に5周年を迎えました。地域コーディネーターとの連携を広め、全国にプロジェクトを拡大中です。

今回は三重県尾鷲市のプロジェクトをご紹介。

産業構造が変革し課題先進地域となったこの地域で、理念に共感した人材の方々とともに世界から注目される事例となるべく、業態転換に挑戦している企業のチャレンジをご紹介いたします。

 

■尾鷲ヤードサービス(株)の業態転換を、世界から注目されるジャストトランジションに

三重県南部、紀伊半島の東側に位置する尾鷲市。日本で一番降雨量が多い街として有名ですが、人口はピーク時の半分ほどに減少し、人口流出と少子高齢化が進み街の暮らしが失われつつある典型的な地方都市でもあります。

かつては一次産業が栄えていましたが、後継者不足などにより衰退の一途を辿っています。また、最盛期には関連下請け会社も含めると3000人以上の雇用を生み出し街の経済を支えた火力発電所も、2018年に廃止・撤退しました。

残ったのは広大な更地。世界的に見ても、火力発電所が撤去され更地になったという事例はほとんどありません。

持続可能性が重要視される中、世界ではジャストトランジションという言葉も言われ始めています。持続可能な社会に移行する中で、失われる産業もあります。その中でも、あらゆる人にとって平等に公正にシフトしていこうという考え方です。

日本でも世界でも、廃止予定となっている火力発電所が多くあります。

尾鷲はこの分野において課題の最先端地となり、『先進的なジャストトランジションのモデル』となり得るターニングポイントを迎えています。

火力発電所が廃止されるまで、発電所に関連する業務に従事していた尾鷲ヤードサービス株式会社。

尾鷲を離れて同様の鉄の仕事を続けるか、それとも仕事はないが尾鷲に残るかという選択で悩んだ末、尾鷲に残ることを選んだそうです。

 

それは現社長である岡社長が「幼少期を過ごした向井地区に、まだ美しい自然が残っていたから」

長く耕作放棄地となっていた土地を開拓し、今ある風景・自然を残しながら、未来につなぐ仕事に取り組みたいと思い、この土地で観光農園『おわせむかい農園』を開園。

野菜を作って売るだけでなく、人々が集う未来を思い描くことが出来る素晴らしい場所を一緒に創り上げる民(プロボノ)を募り、新たな挑戦を始めることにしたのです。

 

■尾鷲ヤードサービス(株)とふるさと兼業の出会い

尾鷲ヤードサービス(株)の岡社長は、以前ふるさと兼業で兼業者とともにプロジェクトを進めた、現在一般社団法人つちからみのれのファウンダーである伊東さんと、当時は伊東さんのインターン生であった日向風花さん(現在は理事)から「ふるさと兼業」を紹介されました。

 

当時市内のまちづくり会社で観光交流施設の運営に従事していた伊東さんは、コロナ禍でこれまでと180度異なるやり方で仕事をしなければならなくなり、新商品として尾鷲ヒノキを使ったノンアルコール除菌水「HINOKis PLUS」を開発。それを販路開拓するにあたり、ふるさと兼業のサイトで兼業者とプロボノを募ることにしました。

30名を超える方が応募し、結果5名の兼業者とはHINOKis PLUSの営業戦略を練るチームを、6名のプロボノとは目に見える成果を作るということでクラウドファンディングを行うチームを作り、それぞれ活動をスタートしました。活動を進める中で、HINOKis PLUSが企業の公式ノベルティとして採用されたり、クラウドファンディングでは目標額を超える150万円以上の支援をいただき、商品を世の中に出すことができたのです。

 

この動きを見ていた尾鷲ヤードサービス(株)の岡社長。伊東さんと日向さんから、強くふるさと兼業を紹介されたのですが、その時はおわせむかい農園を立ち上げたばかりで余裕がなく断ろうとしていたと言います。しかし当時経理広報の笠松さんは、実際にこれまでの活動を目の当たりにしていて「我々もやるなら今しかない!」「皆さんの経験やスキルをお借りできるならぜひやりたい」と思ったそうです。

 

■民(プロボノメンバー)と一緒に新たな挑戦をスタート

おわせむかい農園は、農園としてまだまだ始まったばかり。

初めは、ブルーベリーや、キャビアライム、オリーブ、国産アボカドの栽培に挑戦しましたが、農業だけで事業として成り立たせていくのは難しいと感じていました。

 

その時、長く耕作放棄地となっている農地や山林が目に入りました。

その草薮の中に樹齢50~60年の甘夏が黄色く実をつけて残っていることに気づきました。一般的な甘夏の木の寿命は約40年。寿命を超えてもなお甘く美味しい実をつける甘夏を「奇跡の甘夏」と名づけ、この場所をたくさんの人々が集う場所にしようと、一緒に進める仲間として「民」を募集しました。総勢27名の応募があり、全員をプロボノメンバーとして受け入れをされました。

まずは「民」とともに、草刈りや鹿除けのネットを張ることをスタートしました。そして階段を作ったり、ファイヤーピットを作ったりと、人々が集える場所を一緒に作っていったのです。

そして今、民の皆さんとの挑戦がだんだんと形になりつつあり、2023年にはおわせむかい農園キャンプ場「ミノレ」をオープン。お客さんの他にも修学旅行の高校生や企業研修の方など様々な方が訪れます。

「ミノレ」はみんなで作るキャンプ場というコンセプトで、訪れた方と一緒に今でも階段を作ったり、サイトを広げたりと、進化を続けています。今では長期休みになると全てのサイトの予約が埋まることもあり、繁忙期には民の皆さんがキャンプ場スタッフとしてお手伝いに来てくれます。

 

プロボノの活動は当初3ヶ月ということでしたが、その後も活動は続き、民の皆さんがそれぞれの来られるタイミングで尾鷲に訪れているそうです。民の人が尾鷲に来たときは「おかえり」「ただいま」、尾鷲からそれぞれの場所に戻る時には「行ってらっしゃい」「行ってきます」。

プロボノという枠を超えて、家族のようになっていると言います。

 

今、民の皆さんと共に行った「鉄から土への挑戦」を、全国の地域プレーヤーが視察にくるようにもなりました。尾鷲ヤードサービス(株)は、鉄から土への業態転換の挑戦を、世界から注目されるジャストトランジションの事例とするため、世界に目を向けて事業を展開しています。

 

■一企業のプロジェクトが尾鷲全体の未来を考えるきっかけに

最初は民(プロボノ)の皆さんの経験やアイディア、スキルをいただいているという感じがしていたが、次第に「一緒に創り上げている」感覚が強くなってきたと、笠松さん。同時に自身の仕事に対しても、いい刺激をもらったとお話されていました。

岡社長は、「これまでの人が大切にしてきた土地をお借りして昔のような活気ある向井地区を取り戻したい。そして僕たちはここで挑戦を続けながら、民の人たちがいつでも帰ってこられる。そんな場所でありたい。」とお話されていました。

一般社団法人つちからみのれの理事である日向さんは、一企業に限らず地域全体を巻き込んだ動きにする必要があると感じ、この場所に多世代の居場所「むむむ。」を開設、現在は地域の子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで集う場所となりました。
一つの企業の挑戦がまさに地域全体を巻き込んだ動きとなっており、日向さん自身でも応援者を募るため外部人材の募集をしながら向井地区の振興に取り組んでいます。

このように一つの企業や一つのプロジェクトに兼業、副業、プロボノの皆さんが参画するだけでなく、尾鷲という土地に地域をよりよくしていきたいという想いで繋がっていく動きができたのです。

 

尾鷲ヤードサービス(株)の業態転換を、世界から注目されるジャストトランジションにしたい!という皆さんの想いが形になって表れてきており、よりよい地域づくりに多くの兼者(ふるさと兼業では、兼業者の皆さんのことをこう呼んでおります)が関わった事例であるといえます。

 

 

プロジェクトURLはこちら(現在は募集を終了しています)