ふるさとのないわたしが「ふるさと兼業」を始めるワケ
学生兼業 活動レポvol.1
2020年04月03日(金)
初めまして!桑原沙也加です。
この度、学生の皆さんに向けて「時給以外の新しい働き方」を選択する機会を広げるため、
ふるさと兼業に学生プロモーション担当として参画することになりました。
今回は、自己紹介も含めて「なぜわたしがふるさと兼業を始めるか」についてお話してみようと思います。
|あたたかい世界をつくる
突然ですが、これはわたしのビジョンです。
ビジョンというと、なんだか大げさな気がしますが、
どんな大人になりたいか?そのためにどんな道を歩むか?を考えるための目印のようなものだと
わたしは考えています。
では、わたしの考える「あたたかい世界」とはどんな世界なのか?
価値観の違う人に対して、「面白いね」って興味を持てたり、
無謀かもしれないけれど勇気を出して何かに挑戦する人に対して「どうすれば出来るようになるか」を
一緒に真剣に考えてくれたり。
そういう、人の気持ちに寄り添って生きる人があつまるような世界をつくりたい。
心無い言葉を投げかけてくる人たちの声が聞こえないくらい、
熱のこもったもので溢れる世界をつくりたい。
そうわたしは思っています。
|きっかけ
なぜ、あたたかい世界をつくりたいのか?という話ですが、
大きく影響を受けたのは「水俣との出会い」「香水ブランドの立ち上げ」このふたつだと思っています。
この二つの経験から学んだことは、他者への想像力をもつ、ということです。
水俣との出会い
水俣は、今から約7年前、中学3年生の時に訪れた場所です。
わたしの通っていた中学校では、4方面から選択して勉強するフィールドワークを
修学旅行の代わりに行なっており、その一環で訪れました。
京都・奈良、沖縄、四万十、そして水俣。
この4方面の中で水俣を選んだのは、確か、担当していた先生のことが好きだったから、
でしたが、水俣という地を、歴史を勉強していくにつれて、水俣という町と人を好きになったことはもちろん、社会への興味が大きく広がったことを今でも覚えています。
水俣について学ぶ1年間の中で得た大きな気づきは、「物質的な豊かさは人を幸せにするとは限らない」ということ。
そもそも水俣病とは、工場排水中のメチル水銀に汚染された魚や貝などを
たくさん食べることによって起こったメチル水銀中毒です。
行動経済成長期に、人々が豊かさや便利さを求めすぎたが故に起こってしまったと思っています。
その幸せは、誰かの苦しみの上に成り立つ幸せではないのか?
一度でもこのことを考えることが出来ていたら、もしかしたら苦しむ人は
減っていたのかもしれないと思うと、どうにもやるせない気持ちになってしまいます。
でも、そうした過去を学ぶことができたから、わたしは、社会の中の自分がどうありたいか?や
社会に対して自分が出来ることは何か?ということを考えてこられたとも思っています。
失恋をきっかけに始めたWhomというブランド
実際に他者への想像力について考えるようになったのは、Whomというブランドを立ち上げた経験でした。
自分の失恋をきっかけに、「忘れられない女の子」のための香水を作っていた時、
最初に出した文章がSNSで少しだけバズって。
顔も名前も知らない、たくさんの人から「頑張って」「応援している」「買いたい!」と
伝えてもらったことは人生の中で一番と言って良いくらい嬉しかったです。
でも、やっぱり否定的な言葉や人格否定されるような言葉をもらうこともあって。
幸いわたしの周りには背中を押してくれる人がたくさんいたので、
辞めずに発売まで走りきることが出来ましたが、もし心無い言葉を繰り返しかけられてしまっていたら、諦めていたかもしれません。
大げさな、と思うかもしれませんが、案外人からの言葉は強烈で、
言葉ひとつで人生が変わってしまうことだって、おかしくないと思っています。
約1年かけてブランドを作ってみて、1年前とは比べ物にならないくらいたくさんの人に出会って、たくさんの素敵な愛を頂いてきました。
たとえ顔が見えなくても、名前を知らなくても、人を思いやる気持ちは確かに伝わって、少しずつ連鎖していくんだと気づきました。
※ Whomのオフィシャルサイトはこちら
他にも、様々な要因はありますが、水俣と出会って知った豊かさ・幸せの疑問とSNSの素晴らしさと違和感に気づいたことがあたたかい世界をつくりたい、という気持ちの素になっていると思います。
|「ふるさとがない」わたしがふるさとに関わりたい理由
わたしは、生まれも育ちも横浜で、「ふるさと」と呼べる場所が思い当たりません。
だから、上京してきた友達が休みの度に「ふるさと」へ帰っていく姿がとても羨ましかった。
ここではない所にも、帰る場所がある感じがして、なんだかいいな、って。
東京などの大都市で生活をしていると、ものすごく便利な反面、気づかぬうちに消耗していることが多々あります。
ずっと、重りを纏っているような、なんとなくの息苦しさを感じていた中で、
ふと思い出したのが、先述した水俣の地のことでした。
たくさん人がいるわけでも、便利なものがあるわけでもなかったけれど、
不思議と「心が豊かだ」と思ったことが強く記憶に残っています。
これからの将来を考えた時に、都市部で生活して、仕事をするんだろうな、
とごく当たり前のように考えている自分がいました。
でも、本当にそれで良いのか?
わたしは、あたたかい世界を作りたい。
これは、大都市でしかできないことなの?
そう考えた時に、自分が心地よいと思った地方や地域、ふるさとと関わる仕事もしてみたいと思いました。
今までは、0→1を作るような、スタートアップやベンチャーばかり見ていましたが、
大学生の間は自分の向き不向きを徹底的に試して知る期間でもあるんだ、と思い、一歩踏み出しました。
そして、何よりふるさと兼業という働き方は、仕事でありながら、どこか趣味や部活のような熱さを感じられ、
これはわたしがつくりたい世界を作るために必要な要素の一つになるのでは。
そう感じたので、参加を決めました。
|終わりに
色々とふるさと兼業の仲間に入るまでのことを書き連ねましたが、わたしがこれからやることは、
大きく3つです。
「大学でも兼業ができる仕組みを作ること」
「新しいふるさとに出会う場所を作ること」
「時給で働く以外の選択肢を自ら発信していくこと」
東京など首都圏の学生が、これまでとは違う形で地方や地域と関わる働き方を広めるために動いていきます。
上京してきて、何かしらの形で故郷と関わりたいという方も、
わたしと同じくふるさとは無いけど関わってみたい、という方も、
ぜひ一度どんなことが出来るかをお話したいです!
TwitterやFacebookのメッセンジャーにて、お気軽にご連絡いただけると嬉しいです。
くわばらさやか
Twitter:https://twitter.com/Whom_sayaka
Facebook:https://www.facebook.com/kuwabara.sayaka.78
今後、学生向けのイベントはこちらでアップしていくので
是非チェックしてみてください♪
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